2020/07/30_場所とメディアのプロジェクトの企画書

前回のZoomの議論を踏まえて、えじりが(独断と偏見で)場所とメディアをつくるプロジェクトの企画書を書く。以下、企画書の内容をそのまま引用するが、これはあくまで、えじり個人の意見である。この頃から、全体で一つの絶対的なコンセプトを表明するというよりも、各々の考えていることが個人の意見として上手く伝わるような見せ方にしたいという方向性を共有していたと思う。

場所とメディアのプロジェクト_企画書(文責:えじり)

企画趣旨

以前、早稲田大学建築学科の広報誌『WA2020』の学生企画ページ「WA+」に関わった時に「明日の建築会」のインタビューを掲載しました。その記事では「アウトサイドな精神とその受け皿としての居場所づくり」という副題を掲げて、アウトサイドな活動をしたい人のセーフティーネットとしての側面に触れました。自分としてもこの側面に助けられたところが大きく、大学を卒業したら終わりというわけではなくて、これからもこういう場所があったら良いなと漠然と思っていました(「アキチテクチャ」を始めたきっかけも「みんなが帰って来れる居場所をつくること」だったし)。

そこで、本当は物理的な場所を確保して頻繁に集まれたら良いのですが、日本全国(あるいは世界?)色々なところに行く人がいると思うし、とりあえず紙の上で居場所をつくれば良いのでは?と思いつきました。「〇〇アパート(仮)」というように、何かしら建物っぽい名前をつけたフリーペーパーを発行して、そこの入居者(=書き手)が「生活と表現」について(あまり気張らず)書いていくというような(建物のモチーフとしてのメディアというアイデアは「アパートメント」というサイトからヒントを得ています)。

同じテーマについて各々の思ったことを書いて応答してみたり、往復書簡のようなコーナーをつくったりと、紙面上でやりとりをする、あるいは逆に現実での友人関係の関係性や入居者のキャラクターが現れるような紙面にしたりと、フリペだからできる共同制作を楽しみたいなと思っています。(どうでしょうか…)

この活動を通して考えていきたいこと

◎「運営と制作と生活の一致」

東浩紀さんが「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」という論考で、批評や創作活動など広く「制作」をする人たちに向けて、組織の運営と制作の論理を切り分けずにやっていくためにはどうすれば良いかというようなことを言っています(例えば、商品として売れそうなパッケージングなんだけど、すごい批評的なことが書いてある本をつくるというような)。これは、やりたいこと(単純に楽しいというよりも作品として価値のあるものをつくりたいという意味)とお金を稼ぐことのバランスを取らないといけないよね、という僕たちが漠然と不安に思っていることに近いと思います。なおかつ、今までの「明日の建築会」の活動などは、生活の中での友人関係が制作に持ち込まれたり、プライベートと運営の線引きがなくなるような生活をしたり(「アキチテクチャ」でのコンスタントな買い出しなど)と「運営・制作・生活」という3つの要素のバランスを取りながらやってきたように思っています。逆にいうと、楽しい制作があるから生活が潤うよねという話もあると思うし。という感じで、運営と制作と生活を一致しながら活動していくやり方をみんなで考えて模索していけたら良いなと思っています。入居者のそれぞれの制作活動を応援するような企画などができたら良いですね。

◎「公共圏からの風が吹く親密圏」

齋藤純一さんの『公共性』という本の中で(アーレントとハーバーマスの著書から引用してきて)「公共圏」と「親密圏」という話が出てきます。「公共圏」というのはいわゆる公共空間で出会う人々の間に(共通の関心ごとを介して)生まれる関係性、あるいは公の言説の政治の場所のことで、対して「親密圏」というのは具体的な他者への配慮によって形成される関係性(家族とか仲良しグループとか)のことです。そのような前提の上で、現在の「公共圏」は、例えば公に正しい言論を言うことができるコミュニケーション能力のある人しか参加できなかったり、あるいは社会的属性によって排除されてしまったり(日本国籍のない外国人に参政権がないなど)するため、そのように「公共圏」から排除されてしまった人々にとっては、それに対抗する「親密圏」をつくることがある種の救いになります。かといって、「親密圏」がある属性を持つ人しか入れないようなものになってしまうと、その「親密圏」にすら排除されるという人が出てきてしまいます。このように考えたときに、自閉的に(オンラインサロンのように)ならずに、窓を開けて外からの風が吹くような「来る者は拒まず、去る者は追わず」的な親密圏があったら最高だよねと思います。これは精神的な面でのセーフティーネットをつくりましょうという話でもあります。例えば、あるプロジェクトにおいてメンバーが望むような成果をあげられなくて許せる、許しても平気な性質の場所を形成・維持して、その中で制作をできたら良いなと思うのです。そもそも、仲良しグループのやりとりをフリペとして出版する(publish=公開する)こと自体が、「公共圏からの風が吹く親密圏」をつくっていると言えるかもしません。

◎「当事者性のある表現・言説」

「当事者性」とはひとまず「その人の立場や経験に即した」というような意味で捉えてもらえれば良いと思うのですが、僕はいつも自分の活動に当事者性があるかどうかというセルフチェックをしています(例えば「建築家」的な作り手の立場で建築について語ろうとすると上滑りするような感覚があったんですが、ある種俯瞰して社会現象として捉えるような語り方をしたらしっくりきて、どの立場から語るか/考えるかということが大事だな…と思った経験があります)。それと同時に、障害の当事者研究的な本や、当事者性のある批評(制度の外側から美術制度を批評する、自称「いろもん美術評論家」の福住廉さんの著書など)を読むのが好きで、当事者性のある表現・言説に深く共感するのです。という感じで、この活動では入居者のパーソナリティとか生活感とかに触れることが多いと思うので、無理に背伸びせず、「当事者性のある表現・言説」を出していけたら良いなと思っています。まあ、ちょっと長めのツイートくらいのテンションで書いたり描いたりしましょうという感じです。

その他ルールなど

・基本的に原稿とかは強制されて書くものではなくて気分が乗った時に書くものだと思っているので、締め切り守らない人がいても成り立つようなルールを考えておきましょう。その他にも、多少の気分の変化によってグループが破綻しないようなルールをあらかじめ埋め込んでおいた方が良いかなと思います(アキチテクチャで責任が僕に集中して苦しい時期があったので…)。これは一般性のあるものではなくてメンバーの性格とか趣味嗜好によって生まれてくるローカルルールで良いと思っています。

・仕事に余裕が出てきたorはじめに入った事務所を辞めるというようなタイミングで、物理的な仕事場が必要になると思うので、その時までにグループとして小さな活動をコツコツ続けて色々考えましょうというようなスタンスです。

この企画書で書かれているように、参加する人それぞれが自分の野望みたいなの持っていて、それがバラバラでも良いというスタンスでやろうという話になった。

また、物理的な場所を持つとしても、なんとなくあるというよりも、具体的な活動や用途があった方が良いのでは?という話になった。そこで、具体的に何をやろうか?ということで、ちょうど「レモネード屋さんをやりたい」という話をしていた、すみれこを誘って、5人で相談しようということになった。

(text : えじり)